寄稿文

厳冬の奇祭よ永遠なれ

初めて熊野寮に入ったのは、1992年12月の寮祭のとき。寮祭実行委員長だったM下くんが、わたしが所属していた同志社の軽音サークルの人にライブを依頼したのだと思う。会場となった熊野寮食堂は、ライブハウスや学内のライブ、吉田寮の食堂ライブとも異質なムードが漂っていた。白衣あるいはアーミーコートにヘルメット姿の寮生たちは、特に音楽にノるでもなく膝を抱えて酒を飲んでいる。Johnny Thunders & The Heartbreakersの『Bone to Lose』が虚空に吸い込まれる気がした。ライブが終わると、白衣の人がトラメガ片手に『セーラー服を脱がさないで』を歌いながら、リンボーダンスならぬ「ゲバ棒ダンス」をはじめた。こちらはすごい盛り上がりようで、なんだか負けた気分になった。

後日、食堂ライブ後に飲み明かした寮生たちは『四条大運動会』に”決起”したと聞いた。新京極通での聖火リレーならぬ「火炎瓶リレー」やパン食い競争、四条大橋での綱引き……。なんて素晴らしいバカなんだろう!と、わたしたちはまた悔しがった。酒代が惜しくてエチルアルコールに味の素を入れて飲んだこともあるらしい。全然真似したくないけど、絶対に真似もできない。他の追随を許さない、熊野寮の果てしなく突き抜けたところが、わたしはすごく好きだった。

昨年、『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フイルムアート社)の執筆にあたり、ひさしぶりに熊野寮を訪れた。対応してくれた数人の寮生が、取材そっちのけで「自治とは何か?」と熱く議論しはじめるのを見て「めっちゃいいな!」と思った。自治に答えなんかない。ことあるごとに議論し続けるしかないのだ。

地域の人達と一緒に作り上げてきた『くまのまつり』、子どもたちのための『ワークショップくまの』。寮を地域に開いていくスタンスは、自治寮のもつ可能性に新しい光を投げかけている。例年の『熊野寮祭』では、大小合わせて約170もの企画が実施されるらしい。何かをするには、面白そうだからという理由で十分だと思う。自ら動けは必ず誰かとの対話がはじまる。その先にこそ自治も運動も寮の未来もあるのだろうし、誰にも奪われない一人ひとりの生きざまも作られていくのだろう。今年の熊野寮祭も大いに盛り上がることを祈りたい。

杉本恭子

2020年 熊野寮祭パンフレットより引用